難聴児の療育、育児体験ブログ

2009年に産まれたとぅーたんは元気で陽気な男の子。
東京の病院で産まれた時、破水後⇒陣痛来ず⇒とぅーたんの心拍低下⇒緊急帝王切開で誕生。

その後、産後入院中の聴覚スクリーニングで要再検査に。

その後、1ヶ月検診でABRにて難聴の可能性あり。
その後、最高峰と言われる小児病院を紹介されそこから療育がスタートしました。東京の聾学校の言葉のクラス。聴力の変化。補聴器をいつ付けるかの葛藤、東京の病院での療育。

2012年にパパの仕事でアメリカに渡米。(2歳半)
今は、7歳になり現地校で英語も理解し、自宅では日本語を話すバイリンガルを目指す日々。

可愛い赤ちゃんをやっとの思いで出産した後に、難聴診断を突きつけられ悩めるママ達の励みになればとブログに療育、通院体験を綴ります。諦めないでくださいね✨

1ヶ月検診



とぅーたん誕生より1ヶ月ほどでの1ヶ月検診。
この日に、聴力検査をするとわかっていたので、なんだか落ち着かない気分で病院へ向ったのを思い出すガーン


母子共に、産後の経過を診察してもらい、いよいよ別室に連れて行かれ聴力検査を受ける。


部屋の前で、祈る気持ちで待つ私汗。
そんな気持ちを裏切るかの様に、簡単に終わるはずの聴力検査が一向に終わらず、20分、30分、50分と時間が過ぎて行く、、、、冷や汗の出るようなドキドキが続いた。


そして、ほぼ1時間が過ぎようとしたとき、ガチャンとナースに抱っこをされてとぅーたんが出てくる。
ナース ‘大きい音は確実に聞こえてるみたいなのだけど、小さい音が、、、、’
まうなっち ‘そうですか、、、、、、、、、、、、、、、’と、胸に大きな黒くて重いものが突き刺さるような感覚共に、それ以上は何も発せず、、、、。
ナース ‘この産婦人科ではこれ以上の精密検査はできないので、大きな国立病院の耳鼻科を紹介しますね’
まうなっち ‘はっはい、よろしくおねがいします、、、、、、’


どうしよう、どうなるのだろう、これから、、、、。
ただ、不安とショックで夫にも連絡できずに、、、、帰路についたが、その帰り道、どうやって帰ったのかも全く記憶にないのである、、、、。

希望の光に。先天性の難聴は治る可能性もある!

2009年に我が家に産まれて来てくれたとぅーたん。


先天性の軽度難聴(伝音性)があり、1歳で難聴確定当時70デシベル⇒
しかし、補聴器を勧められる→使用するかどうか悩む、、、なぜなら医師より‘5歳か6歳になったら治るかもしれないし、、、、MRIとったけどどこが悪いのかわからないからねー。’と曖昧な診察を受けた理由からである。


そして、親戚のいるフランスへオメオパシーを受けたり、聾学校の幼児クラスに通い手話を習ったり、、、補聴器メーカーと色々自力で周り話を聞いたり、、、、必死でどうするのがベストか親として懸命に模索した東京生活。


夫の仕事で、2012年とぅーたん2歳5ヶ月時に、アメリカ西海岸へ移り住む事に。


とぅーたんの療育方法も定まらないまま転勤となり、しかしアメリカの現状を調べてみると日本よりも、医療も進み、障害児に対する偏見も少ないという担当のSTさんや海外補聴器メーカーの誠意あるプロフェッショナルな方のアドバイスに背中を押され、アメリカ生活をスタートさせました。


そして、結果ここ半年に左右の耳小骨の手術を受け、とぅーたんの聴力は完治したのです。
今は、アメリカの現地の学校に通い、家では日本語を話すバイリンガルになりつつ、のびのびと元気に成長しています。


東京での、未来のみえないグレーな日々から、アメリカにきて手術を受ける迄の軌跡を思い出して、綴っていこうと思います。
主人ともとぅーたんの難聴が完治した体験を無駄にすることなく、少しでも多くの治る可能性のある難聴児を抱え、懸命に頑張っている親御さん達に少しでも希望の光が灯せればと、、、☆。体験記を綴りたいと思います。


プライバシーの関係で、医療機関名などは伏せますが、情報が欲しい方いつでもメッセージ下さい。出来る限り正確に、誠実にお答えしていこうと思っています。